2009-05-07

池袋三越が閉店

昨日5月6日で池袋三越が閉店しました。
終戦から10年後の1955年に着工、2年後の57年10月1日に開店した同店が51年の歴史に幕を下ろしたわけです。
私はあまり行かなかったのですが、最後の買い物でもと思って、肉を買いに行くついでに閉店式典も見ておきました。

「最後のお客様をお送りするときに『また、いらしてください』と言えなかったのがさみしかった」という店長の挨拶に、本当に閉店してしまうんだな、としみじみ。
駅に直結した西武と東武に比べ、立地と規模の点で不利だったので閉店は仕方ないでしょうが、池袋というダサい街で数少ない高級感のある百貨店だっただけに誠に残念。1Fにあったヴィトンは西武に移る予定ですが、「なんか違うんじゃねーの?」って感じがします。

ちなみに、三越の売り場面積がなぜ狭かったかというと、同時期に進出した丸物(現在のパルコ)に対して地元商店街の反発が強く、三越は当初計画の五割減、丸物は二割六分減の売り場面積となったそうです(豊田薫『東京の地理再発見』、1994年・地歴社刊)。

これまで東京の繁華街は西部が栄える「西高東低」と言われてきたけど、今後は南部が栄える「南高北低」が強まり、いっそう「南北問題」ということが語られると予想されます。
このままだと「南大宮」とか揶揄されかねないんじゃないかと心配になります。

三越の跡地には、2010年にヤマダ電機が入るようですが、これはビックカメラつぶしなのは言うまでもないでしょう。カニバリズムにしかならない気もしますが……。
豪華だった内装は、ヤマダになってもそのままだと思いますが、どうもちぐはぐな気もします。

私が6年前に書いた卒論のテーマは「池袋はなぜダサいのか」で、池袋東口について調べたのですが、そのときに池袋の消費行動の大半は駅周辺とサンシャインシティで行われていて、その中間はスッポリ抜けているということが改めてわかりました。実感としてはあったのですが、調査結果もその通りだったのです。
都内のおしゃれな街はだいたい起点と終点の間も栄えていて、それが街の色になっているのだけど、池袋はそれが欠落しているわけです。

もし、三越が東急ハンズみたいな店を出していたら(=池袋店を改装してたら)、たぶん繁盛していたと思うし、ハンズは今頃撤退なんてことになってたかもしれない。そして、池袋の街としての回遊性がかなり向上していたはず。
でも、ヤマダじゃあそういうことにはならないでしょうね。

しかし同じ「キタカン系量販店」でもコジマやケーズだったら許せるのはなぜなんでしょう。
別にヤマダでいやな思いをしたわけでもなんでもないんですが……。

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