2006-05-21

ニューバランス M2001

土曜日に以前から探していた靴が見つかった。ニューバランスのM2001というモデルだ。3年ほど前から同じもの(写真後方)を履いているが、この1年は特に酷使したためか、かなり傷んできており、自分がまっすぐ立てない状態になっていた。その割に買う予算がないのと店頭で見かけなかったので、姿勢がおかしいものの履き続けていた。

今回はたまたまダメ元で入ってみた店で発見した。色は黒しかなかったが、3年間グレーを履いたし、できれば黒をと思っていたので丁度良かった。金銭的に余裕はないのだが、かなり歩きづらさも限界に達しており、見つけたときに買わないとまた疲れやすい日々を送らなければならないと思って決心した。

値段はハッキリ言って高いが、やはり他の靴とは履き心地が違うのと、長時間歩いても疲れにくい。一日中歩き続ける今の仕事を続ける上で、靴選びはカメラ選びと同じくらい重要だ。一足だけだとヘタりやすいので、金銭的に余裕ができたら海外の通販サイトで買い増したい。

2006-05-17

コリャすごい

民団と総連の会談を取材した。当初の予定ではビッグサイトへ行くことになっていたが、会場へ向かう電車の中で同期2人とメールのやりとりをして役割分担を決めた。うまい具合に連絡が取れたため、開始時間にも間に合った。先遣隊となったT君が会場の状況報告とデジカメで動画、Kさんが記事、僕が写真という分担になった。あうんの呼吸で動ける仲間と仕事をできるのはうれしい。

会談の内容について触れる人は多いと思うので、僕は韓国メディアと日本メディアの取材手法について気付いた点を書いてみたい。特段目新しいことではないが、お国柄の違いを国内で実感できた貴重な体験であった。

総連本部に着くと、当然ながら韓国メディアが相当数来ている。報道陣が多いのは見慣れているが、彼らの取材手法がすごかった。とにかく民団のハ中央団長や総連のソ議長達に突っ込んでいくのだ。両団体関係者の記念撮影が始まる頃には大混乱になった。

日本のメディアも同様のことをするが、混乱が生じると声を出し合い、皆で一度少し下がるのが普通。あまり相手に寄りすぎると結果的に誰も撮れなくなるからだ。でも韓国の人たちは突撃体制のままである。また、日本人なら割り込まれると腹を立てるが、彼らは割り込まれたら自分もより撮りやすい場所に移動する感じだった。まぁ、つまらないケンカをするより、このほうが良い気がする。

日韓双方のメディアの印象をまとめると、日本メディアの場合、まず各社に問題のない状態にして、後は各自競争するというイメージ。韓国メディアは最初から競争と感じた。とにかく彼らは熱く取材していた。これが国民性の違いなのだろう。しかし総連の中は蒸し暑かった。

2006-05-16

ワードロンダリング

以前から言葉の使い方一つで、本来好ましくない行為が、さほど罪悪感のない行為として、世の中で受け取られていると感じていることがある。その一つがサラ金業界がよく使う「キャッシング」という言葉だ。

カタカナにすると悲壮感とか暗い感じが伝わってこないが、要は「借金」。同じように「援助交際」だって交際ではなく「売春(買春)」である。こうした言葉のマジックを僕は「ワードロンダリング」と呼んでいる。まぁ、「マネーロンダリング(資金洗浄)」の言葉版ってことでこう名付けたけど、サラ金のCMを見てると「イメージロンダリング」なのかなぁ、とも思う。

どっちにしても、物事の本質を見失うような細工がメディアを通じて行われているのはいかがなものか。今回のアイフルの件にしても、ほとぼりが冷めれば業界全体でCM出稿量は元に戻るだろうし、世間も安易に借金をするリスクをどれだけ考え直すかと言えば、さほど真剣には考えていないのではないか。

結局個人の倫理観になるわけだが、こうした事件を契機に本来好ましくない行為を見つめ直す動きがあまりないことが、アイフルの決算会見を取材している時に少々心配になった。

2006-05-14

タイフェスを本当に食べ尽くす

13~14日の2日間、代々木公園で開かれたタイフェスティバルに、日本パクチー狂会の会員として参加した。出展している全38店の料理を食べ尽くす企画「タイフェスを食べつくせ!」を実行し、写真に残すためだ。

初日の13日は雨+肌寒い天候で歩道橋の下を陣取って参加。こんな天気なのに結構人が来ているのも驚いたが、狂会の陣地にも多くの知人や知人が連れてきた人がやってきて、楽しい宴であった。僕と数名は夕方からビールの名店・両国「ポパイ」での麦酒部の飲み会に行くことになっていたが、悪天候だったこともあり、狂会全体で移動することに。ポパイでも数ヶ月ぶりにあう人と会話とビールを楽しんだ。

14日は昨日食べられなかった店を食べ尽くすことに。好天に恵まれたため、前日の3倍近い人が来ていた。こんなにタイ好きが多いのかと思うと同時に、両日を通じてタイの人を多く見かけた。

狂会が食べ尽くした結果、一番おいしかった店が「CHAOTHAI(チャオタイ)」(写真上)、パクチーに対して最も理解のある店が「プラトーン(webはなし)」(下)に決定した。決定後はお店を再訪してご報告し、記念撮影を行った。

それにしても、パクチーというものを通じて、これほど人付き合いができるとはすごいと思った。
会長の活動力と人脈によるところも結構あるが、それにしてもパクチーは偉大だ。

2006-05-03

都営池袋アパート

池袋駅北口にある都営池袋アパートの取り壊しが先週あたりから始まった。1950(昭和25)年10月に完成したこのアパートは、数年前から立ち入り禁止状態であったものの、なぜかそのままの状態で放置されていた。景気が上向いてこの辺も再開発でもするのだろうか。

1950年というと現在は東武池袋店となっている「東横百貨店」が開店した年で、2年後の52年に北口が開業している。西武のある東口では51年からヤミ市対策が始まるが、北口も含め西口周辺は1961年に西口マーケットの取り壊しが始まるまでは終戦直後の状態が長く続いていたようだ。その中では、この3階建ての都営住宅は近代的な建物だったのだろう。

池袋という街はここに代表されるような、なんとなく暗い影が街全体にあり、新宿や渋谷とも異なる雰囲気を醸し出している。自分の卒論でも書いた「ハレの場になりきれない繁華街」という印象が強い。しかし、最近東口の「らーめん名作座」とその周辺の店が一斉に閉店するなど、再開発の兆しが見えている。名作座周辺の場合は再開発というよりは明らかに「地上げ」なんじゃないか?とうがった見方をしてしまうような変化だが。

街が時代の流れにそって変化していくのは当然だが、没個性な街に池袋が陥らないことを祈りつつ、ある程度はダサイ繁華街の汚名を返上してもらいたいという複雑な気持ちになった。