2006-02-04

写真は事実を半分しか伝えられない

これはピュリッツアー賞を受賞した米国の報道写真家、エディ・アダムス氏(2004年に71歳で逝去)が以前、NHKの番組で語った言葉の一節だ。南ベトナムの国家警察長官が北ベトナムのゲリラ将校の頭を銃で撃ち抜き、処刑した瞬間を彼が撮ったときを例に挙げていた。

テレビを見た時の記憶を基に彼の話を書き起こすと、以下のような内容だった。
「写真というものは事実を半分しか伝えられない。グエン・ロアン(南ベトナムの警察長官)は、休日には娘にフランス語を教える良き父親であり、(処刑写真の)前日には(グエンが処刑している)ベトコンに部下を皆殺しにされていた。しかし、彼はベトコンを銃で処刑した写真により、悪者扱いされた。この写真を撮ったときは戦争であり、平時ではなかったのに」

つまり、写真を見ただけでは、「グエン=ベトコンを殺した悪者、ベトコン=処刑されたかわいそうな人」という図式ができてしまう。多くの人には、なぜグエンがベトコンを処刑しなければならなかったかが、正しく伝わらないのだ。

右の写真は、僕が撮った某社社長逮捕後の社内の模様である。この写真は無断で(一部事前連絡あり)テレビ各局が使用しているが、大体の番組では写真を大写しにして、下を向いた社員のところで次の画面に切り替える使い方をしている。

しかし、彼らは本当に落胆して下を向いていたのだろうか?このカットを撮った時は話が始まってだいぶ時間が経った頃で、暗い話ではなくても普通の人なら下を向いていてもおかしくない時だ。「下を向いているのは事実だが、落胆しているかは個人による」ということだ。もしかしたら「あー、早く話が終わんねーかなー」位の気持ちかもしれない。

この写真は社員が下を向いているという事実は伝えているが、なぜ下を向いているかまでは伝えきれていないと思うし、むしろ見た人に「落胆している」ことを想起させる写真になってしまったのかなとも考える今日この頃だ。写真は事実をすべて伝える事はできないし、それでも良いと思うが、撮る側と見る側にはこうした認識が必要だとつくづく感じる。認識がないから簡単に誤解が生じるのだろう。

写真は事実を半分しか伝えられない。この言葉を戒めとして今後も報道写真を撮っていこう。

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