2004-10-31

そして台風被害は忘れ去られる

新潟の地震報道一色になるにつれ、つい先日の出来事である台風の被害については続報が目立たなくなった。

本当に目立つような情報が入っていないなら幸いであるが、そんな都合の良いことはないだろう。
台風の被害に遭われた地域の人たちも新潟の人たちと同じように、どうやって日常生活を取り戻すかということに日々奔走されていると思う。
そのために必要な情報は本当に出尽くしているのだろうか。
台風被害から復興し始めたという直近の事例から今回の新潟にフィードバックできることもあるのではないか。

以前「一年のうちで一番被害の大きかった地域はまだよい。相応の支援が国などから受けられるから。反面二番目や三番目に大きかった地域は、被害が一番大きい地域と大差なくても支援が不十分になることがある。さらに少しの差で"激甚災害"に指定されないと支援規模の落差が大きい」という話を聞いた。
このように被害を受けた規模は違っても被害にあった人にとって「自分の身に今年最大の災害が起こった」ことに変わりはない。
その視点をもう少し報道する側は持つべきではないか。

新聞の紙面については物理的に仕方ない面があるにしても、ニュースサイトについてはこれを補う義務があるのではないか?
ニュースサイトという新しいフォーマットが使える手段でも紙と似たり寄ったりの取り組み姿勢では、いずれ既存メディアは違う視点で取り組むメディアに取って代わられるであろう。
すべてではないにしても。

災害報道について

新潟県中越地震の報道で感じたこと。

相変わらず自社の都合優先という感じ。
「激甚災害時は各社の分担地域・分野を取材する」というスタイルは無理なのか?
そして生き埋めの家族を救助している最中の取材ヘリ。真上にいるとうるさい。
阪神大震災の時も取材ヘリの音で生死の判別がしにくいとか言われていたと思うが、この点は進歩ナシという感じ。仮に代表取材としてもヘリの運用はもう少し考えるべきでは?
ヘリは必要だが場所は考えましょう。
私は東京人だが、ヘリの音は真下にいるとホントうるさい。

よってたかったところで情報は限られているのだから、人員の有効活用の意味でも分担すべきことは分担し、独自取材が必要なことは徹底的に自分たちでやる、という方向になぜ向かないのか?
新聞協会や雑協はこういうことをもっと真剣に取り組むべきではないか。
いろいろエゴが出るから幹事社や分担地域・分野は輪番制にすればよいと思うが、普段からこうした非常事態の取材体制を構築すべきだ。

それにライフライン情報なども全社共通で書き足していくようなことはできないのか。
情報を欲している人にとって、どの社が抜いたとかは関係ない訳で、いかに有益な情報をわかりやすく、確実に伝えることが最も優先されるべきことのはずだが、私の感覚はおかしいのか??情報の受益者の利益よりも社の利益の方が優先されるということなのか。

被災地の方々には心からお見舞い申し上げます。

2004-10-30

デジカメの進む方向

コンパクトデジカメでも700~800万画素の時代になってきた。
しかしフィルムのようにISO 400や800を常用するのは画質的に厳しい。
これらの感度は数年前の300万画素レベルのほうが遥かに"使える画質"だ。
高画素化だけが画質向上じゃないと思うのだが。

業界では1000万画素のコンパクトデジカメが来年発売されるだろうという憶測が出ているが、高画素化競争よりもそろそろISO 50が基準感度という時代は終わるべきではないか?
なぜ高画素化とトレードオフで基準感度の低下をユーザーが飲まなければならないのか?
ISO 50だとちょっと暗いところだと手ブレの可能性が高まるから高画素化してもぶれてる写真じゃ意味がない。
かといって低感度化による手ブレ防止のために防振機能を使うのはちょっと違うのではないか。
100~800を特段意識しないで使っても不満がない画質、というのが本来あるべき姿ではないかと思う。

高画素化そのものは否定しないが、もう少しトータルな進化をしないと単にデータが大きくなるだけで本質的な進化にならないと思うのだが...