2008-07-13

D3でAFが迷う件が解決

7月8日のエントリーでD3を使っていて「AFが迷う」という報告を書きましたが、10日に修理完了品を取りに行ったところ、原因は「AFセンサー面のゴミのため」とのことでした。処置として、AFセンサーの清掃とAF精度調整を行ったようです。

AFが迷う具体例としては、主にAF-S 70-200mm F2.8で記者会見などを取材している際に、目や鼻の周囲などコントラストが高い場所でAFをあわせようとしても、大ボケしてなかなかピントが合いませんでした。これはAF-S 300mm F2.8(VRなしの初代)でもたまに発生していました。

修理完了品でAFの作動テストを行った限りでは、問題は再発していません。ただ、現場では私以外にも似たような症状が起きたという人がいたので、本当に「AFセンサーの清掃とAF精度調整」だけで解決したのかや、まだほかにも問題があるのかはわかりません。自分のD3も含めて、もう少し様子を見てみようと思います。

2008-07-08

D3導入から4カ月

3月16日にD3を購入して4カ月。先にD300を購入していたので、設定などはここで得たものをほぼそのまま反映できました。

これで、2005年10月から2年5カ月続いたEOS-1D Mark II Nの生活は終わり、Nikonメインの生活が戻ってきました。D2HsからMark II Nに切り替えた時も書きましたが、画質を除けばD2Hsのほうが使いやすいという感想を抱き続けてきた自分には、D3は待ちに待った機材でした。

D300と比べると、またマルチセレクターの話ですが、中央にボタンが設けられたのでより使いやすくなりました。D2Hsの時は中央ボタンを使った操作がやりづらく、中央を押しているのに斜め上を押したと判断されたりすることがよくありましたが、これがなくなりました。

単焦点も復活

レンズはほぼ同時期に購入したAF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G EDと、以前から使用しているAi AF-S Zoom-Nikkor ED 17-35mm F2.8D(IF)、AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF)が中心です。D300と共用でAF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G(IF)も使っています。

あとは単焦点が復活です。フルサイズということで銀塩時代に買ったレンズや、D3導入を見越して買い始めたカール・ツァイスのZFレンズ(Distagon T * 2/35とMakro Planar T* 2/100)、フジヤカメラで投げ売り状態のフォクトレンダーのSLレンズ(12mm F5.6、15mm F4.5、90mm F3.5、180mm F4)なんかも状況に応じて使ってます。まぁ、ULTRA-WIDE HELIAR 12mmとSUPER WIDE-HELIAR 15mmの2本はミラーアップなので自己責任ですが、ちょこっと使った限りでは周辺に色収差?が出たりするのであまり実用的じゃないです。

→ULTRA-WIDE HELIAR 12mmで撮った写真を載せました(09.11.14)
→SUPER WIDE-HELIAR 15mmで撮った写真を載せました(09.11.8)

先月までいた会社は、なかなか取材に行けない会社でした。その割にAF-S 70-200mm F2.8は結構荷物になるので、どうにか軽くしたいなぁと思って買ったのがAPO-LANTHAR 180mm F4でした。最悪は18-200mmでDXクロップという手もありますが、これならフルサイズで望遠までカバーできます。

ワイド側がAF-S 17-35mm F2.8なのは、運用上このほうが前玉を気にせずに撮れるからです。
商品撮影など、機材を丁寧に取り回せる撮影ならばAF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G EDを使いたいですが、報道の現場の場合だとカメラをぶら下げたりするので、あの前玉だとレンズが気になってしまいます。なので、普通に使える17-35mmも新型が出てくれるとありがたいのですが。

D3の画質

基本的にはD300の時に書いたことと同じです。強いて言えば、高感度がISO 3200まで躊躇なく使えることでしょうか。ISO 6400もあきらかに「高感度に設定している」とわかる画になりますが、使えないものじゃないです。むしろ、クセを把握すれば使いやすいと思います。

ホワイトバランスもD300で設定した[オート]に対して常に[B1]への微調整をかけてますし、ピクチャーコントロールも[スタンダード]を基準に、

輪郭強調:1
コントラスト:-1
明るさ:-1
色の濃さ:0(デフォルトのまま)
色合い:0(デフォルトのまま)

とD300と同じカスタマイズをして使っています。

ただ、D300のところで書いた「等倍で見ると肌は解像しているけど、髪の毛を一本一本見るとやや解像しておらず、ノリで固めたみたいに見えることもあった」ということは、D3だとありません。この辺はフルサイズの余裕なのだと思います。

AFが迷う

D300では特段気にならなかったのですが、D3で人物の表情のアップをねらったりすると、目などコントラストがある部分でピントを合わせようとしても大ボケしてしまうことがあります。当然このときに使っているレンズはAF-S 70-200mm F2.8が多いので、レンズが原因かもと思いましたが、サービスで見てもらった限りではレンズは異常なしとのこと。現在D3本体を預かってもらっています。

確かにAF-S 300mm F2.8(初代)でも若干同じようなことがあったので、D3の問題のような気がします。他社の人からも同じような話を聞いたので、もしかしたら何らかの不具合があるのかもしれません。

→修理品が戻り、原因がわかりました(08.7.13)

マルチセレクターが効かなくなる

私は縦位置にするときに横位置のレリーズボタンに手をかけたまま下に来るように構えます。その状態でマルチセレクターの左ボタン(横位置で見た場合)を押しても効かないことがたまにあり、これも今AFと一緒に見てもらっています。

左ボタンが効かなくなると、右ボタンを押して循環で希望の位置に戻すなどの応急処置をとってます。

D3とD300の防塵防滴の違い

これは両方を同じように濡らしたとは言い切れないのですが、4月に長野で行われた聖火リレーを取材したときに、ゴール地点では強い雨が降ったりやんだりしていました。そのときにD3とD300が濡れたときに、D3は再生ボタンやマルチセレクターを押しても問題なく作動しましたが、D300は再生ボタンやマルチセレクターの上ボタンなど、ほかのボタンよりも雨がかかった場所は一時的に反応が悪くなりました。

こうした挙動を見ていると、同じ防塵防滴でもD3のほうが安心できるなと感じました。もちろん、濡らさないようにするのが一番なのですが…。

D3とD700の違い

D700をさわった感想としては、測光モードのダイヤルの回転方向の変更など改良を加えたD300の筐体に、D3のセンサーを入れてゴミ取りを付けたもの、という感じでした。やはり“たてつけ”の部分はD一桁機とは違ってD300に近いです。それでも少しでも装備を軽くしたいという場合には良いと思いますし、ほぼ同じ画質で用途に応じたボディーが選べるようになってきたことも喜べることです。

D3やD300に比べて、D700は“使い勝手”というカタログスペックとして謳いにくい部分が向上していたので、D3X(仮称?)がどう進化するのかが今から楽しみです。

2008-07-07

D300導入から7カ月

2007年11月29日にニコンのD300を購入して約7カ月が経ちました。
いきなりD3にすることも考えたのですが、D2Hs時代にスピードライトを天井バウンスするとビミョーな色になっていたので、お試しという感じで導入しました。(09.10.6追記あり)

D300を購入した頃のメイン機材はEOS-1D Mark II N(以下Mark II N)でしたが、休日などはD2Hsを使うようにして、なるべくCanonだけでなくNikon の操作方法も忘れないようにしていました。そのため、D300を手にしても違和感は感じませんでした。

私は左目でファインダーを覗くのですが、D300はD2Hsと比べてマルチコントローラーが鼻に当たりにくくなってます。液晶が2.5型から3.0型に大きくなったことでマルチコントローラーがやや右寄りになったからだと思います。

レンズは06年12月に導入したAF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G(IF)や単焦点を使うことが多かったです。
18-200mmは、画質でいろいろ言われていますが(歪曲収差が大きいとか、ヌケが良くないとか…)、D300につけっぱなしだと画質が良い便利カメラになるので、必要にして十分な組み合わせだと思います。ただ、歪曲の話は確かに目立つので、収差を気にする人には向かないレンズだと思います。

VR 18-200mmとの組み合わせ

便利カメラとしてのD300と18-200の組み合わせですが、08年の元旦は葛西臨海公園でディズニーランド越しの初日の出を取材しに行きました。クソ寒い中、レンズ交換することもなくいろいろなカットが撮れて便利でした。まぁ、午前2時くらいにフラッと思いついて、一人でボディー1台、レンズ1本、電送用パソコン1台という超軽装備で向かったのですが、そんなときには非常に良い機材です。



D300の画質

私はニュース写真が主なジャンルなので、JPEG(Fine・L・画質優先)がほとんどです。JPEGでの画質については、ピクチャーコントロールを調整すれば、特に不満のない仕上がりになっています。

高感度も、ISO 3200になれば「高感度で撮ったな」という感じはありますが、ISO 1600であれば掲載時には縮小してしまうこともあり問題ありません。ちなみにMark II Nの時は、だいたいISO 1000を上限にしていました。ISO 1600も特段問題はなかったのですが、余裕を見てという感じです。それがISO 1600を躊躇なく使えるのは良い点です。

ただ、ホワイトバランスについては、光源にもよりますが、Mark II Nのほうが結果を予測しやすいところがありました。これも、使用期間が長くなるにつれて、微調整のコツがわかってきたので、今ではさほど大きな問題ではなくなってきています(後述)。

また、厳密なテストはしていませんが、等倍で見ると肌は解像しているけど、髪の毛を一本一本見るとやや解像しておらず、ノリで固めたみたいに見えることもあったので、その辺は現状のAPS-Cサイズで1200万画素クラスの限界なのかもしれませんが、等倍で見ない限りは実用の範囲だと思います。まぁ、感度を下げたり、RAWで撮ったら違うのかもしれませんが、元々D3を買う前に最近のNikonの画作りの方向性や癖を把握するために買ったカメラなので、そこまで詳しくは調べる予定はありません。

ピクチャーコントロール

いろいろ言われているように、デフォルトのままだとちょっとコンデジっぽい画になると感じます。
ただ、JPEGで撮る場合は、撮った画を極力Photoshopで加工せずに使いたいので、私の場合は汎用性の高いものを[スタンダード]を基準にカスタマイズして使っています。

輪郭強調:1
コントラスト:-1
明るさ:-1
色の濃さ:0(デフォルトのまま)
色合い:0(デフォルトのまま)

D300が露出がD2Hsなどと比べて明るくなっているようです。これは基準露出とピクチャーコントロールのどちらが原因かわかりませんが、ニコンの「ピクチャーコントロール非対応カメラの画作りにピクチャーコントロールで近似させる設定の目安」を見る限り、[明るさ]を1段下げるのが従来機に近づけるメーカー推奨設定(?)のようです。

D300のカスタマイズ設定で[基準露出レベルの設定]を[-1/6]とかやってみたこともありますが、いまいち効果がわからず、結局上記のピクチャーコントロールの設定にして、基準露出レベルはデフォルトのままにしています。

上述の「汎用性の高いピクチャーコントロール」のカスタマイズ候補として、[スタンダード]以外に[ニュートラル]と[D2XMODE1]、[D2XMODE2]も試しましたが、いわゆる記憶色でいくと、[スタンダード]をベースにした方が無難な感じでした。これは、自動販売機でなるべく色数が多いものを撮影したり、看板が多い風景を撮った結論です。特に赤が[ニュートラル]や[D2XMODE2]だと、汎用性の高さをねらうには渋すぎる感じがします。ポートレートなど、ジャンルや編集方法が違えば異なった結果になるでしょう。

私も商品撮影などではRAWで撮ることもあります。このときはLightroomで作業するので、だいたい「ニュートラル」のような画を基準に作業しています。

ホワイトバランス

オートがほとんどですが、常に[B1]への微調整をかけています。
さきほどの[スタンダード]をベースにしたピクチャーコントロール同様に、汎用性が高い値としての設定であり、実際にはテスト撮影をして色温度設定などを使うこともあります。

D2Hsで問題が多かった天井バウンス時の色味も、ほとんどの場合は問題なく撮れています。
なので、カメラになれてくればそれほど問題はないのでは、というのが感想です。

操作性など

Mark II Nに比べれば使いやすいです。これはD2Hsの時も同じでしたけど。
ただ、測光モードがダイヤルになっているので、これがカメラバックから出し入れしていると、動いていることが多いです。同様に視度補正のダイヤルも動きやすいので、測光ダイヤルと視度補正ダイヤルの2カ所はパーマセルで固定しています。D700はこうした声を受けてか、測光モードのダイヤルの回転位置が変更になってます。

あとは、露出補正が左に回すと+で、右に回すと-なのが使いにくいです。
ダイヤルの方向を逆転できますが、そうすると絞りやシャッタースピードまで逆方向になるからまた使いにくい。先日ニコンの人からD700の試作機を渡されたときに「露出補正だけ逆方向にできるとか、もう少し細かく設定できるようにしてほしい」とお願いはしたんですが、今後変わるのでしょうか…。

09.10.6追記

現在連載している「写真は引き算で考えよう」でD300のカスタマイズについて取り上げました(記事はこちら)。
やはりブログのほうが細かい部分まで書けるので、連載の記事はその後のアップデート情報程度に読んでいただければと思います。

大きく変わった(?)のは、ピクチャーコントロールを「ニュートラル」にしたくらいです。
今のところD3ばかり使っているのでそれに合わせたからなのですが、「スタンダード」はJPEGでそのまま使うか、あまり編集しないで出稿する時だけ使ってます。

自販機など色味が多い被写体で試し撮りすると、見た目に近いのは「スタンダード」なのですが、補正して仕上げることを考えると「ニュートラル」のほうがやりやすいかなぁ、という感じです。RAWだとまた違いますが。

2007-11-11

iPod touchの無線LAN設定は英語で

1カ月ほど前、iPod touchの無線LAN機能は暗号強度が最も高いWPA2だと認識しないという話を書きました。
困ったもんだと思っていたら、ひょんな事で解決しました。
英語環境で無線LANの設定をして、日本語環境に戻したら正常に動作するようになりました。

これは、前回書いたLeopard(レパード)にアップデートしたら無線LANが使えなくなった対応策として、「英語環境で無線LAN設定を行い、日本語環境に戻す」というのを、そのままiPod touchに当てはめたものです。

解決策:

1. iPod touchの「設定」の「一般」にある「言語環境」を開く
2. 「言語」を「日本語」から「English」に変更し、「完了」を押す
3. 「Settings」の「Wi-Fi」を選択し、接続したい無線LANを選択
4. 無線LANの設定が終わったら、「General」の「International」にある「Language」を開く
5. 「Language」を「English」から「日本語」に変更し、「Done」を押す

これでiPod touchをWPA2でも問題なく暗号化された無線LANに接続できます。

2007-11-09

Leopardで無線LANが認識されない時は"英語"にする

Mac OS X 10.5 Leopard(レパード)ですが、PowerBook G4 / 1.5GHz(2004年モデル)に入れてみました。
10.3からのアップデートで、やっとiPod touchをつなげられるようになりました。いままではWindows XPのパソコンにつなげてしのいでたんですが、どうもWindows版のiTunesを使うことにひっかかりを感じてたんで、スッキリしました。

さて、Leopardにアップデートしてから、PowerBookの無線LANが認識されなくなりました。Finder右上の無線LANのマークをクリックすると、

「AirMacカードがインストールされていません」

と表示され、通常の「AirMacを入にする」などが一切表示されません。
困ったものです。

解決策:

結論を言うと、英語環境なら問題なく無線LANを認識します。

1. 「システム環境設定」の「言語環境」にある「言語」を「English」にします。
2. 再起動して、英語環境で無線LANの接続を行います。
3. 「システム環境設定」の「言語環境」にある「言語」を「日本語」に戻します。
4. 再起動後に、日本語環境で無線LANの接続を行います。これで終わりです。

どうやら、一度英語環境でAirMacを認識させれば問題ないみたいです。

トラブルが発生したら英語環境でも再現するかをチェックするのが良いようです。
なんだか昔やってた仕事(音楽ソフトの日本語版開発)を思い出すなぁ...

2007-10-22

テンバ Large Rolling Backpack

7月にヨンニッパを買ってしばらくして、カート式のカメラバッグ(通称ガラガラ)を買いました。
テンバ(TENBA)の「Large Rolling Backpack」(ラージ・ローリング・バックパック)というガラガラです。

ロープロ(Lowepro)の「ローリングコンプトレッカープラスAW」か、thinkTANKphotoのガラガラを考えていましたが、ロープロはカートのアームを収納する場所でバッグが仕切られていることなどを考えて、テンバにしました。

バッグの自重も含め20kg

中に入れてみたのは、ボディー2台とレンズ5本、スピードライト2つに電源とブラケットです。

ボディー:EOS-1D Mark II N x2
レンズ:16-35mm F2.8 II、24-70mm F2.8、70-200mm IS F2.8、Extender 1.4 II、400mm IS F2.8
スピードライト:580EX x2、CP-E3 x1、SB-E1 x1

ヨンニッパを除くと、だいたい12kgくらいです。100-400mm F4.5-F5.6とパソコンを足すと15kgというところでしょうか。いつもはドンケのJ-1に入れています。
写真はヨンニッパの代わりに100-400mmを入れたところです。



    EOS-1D Mark II N|16-35mm|24-70mm
    EOS-1D Mark II N+70-200mm|Extender 1.4
    100-400mm|ストロボ関係

テンバのガラガラへ機材を移して何日か使ってみましたが、

・カメラへの衝撃を減らすためにバッグ上部に2台収納すると、
 上側が重くなり不安定
・駅の階段の上り下りが予想以上に大変

ということで、普段はJ-1を継続使用することにしました。
とにかく、階段でバッグも含めれば20kgに達するものを運ぶのは大変です。

使い始めて3カ月ほど経った現在は、望遠レンズ(70-200mm、ヨンニッパ、Extender 1.4 II)、ボディー1台とスピードライト1台をテンバに、それ以外をドンケに入れています。これなら重いレンズと予備のボディーはガラガラで、それ以外は肩からかけて運ぶので、適度に重量が分散されます。

パソコンは入るけど…

ちなみにこのテンバのガラガラ、背面に近い場所にパソコン収納スペースがあります。15インチ液晶のThinkPad T42も入りました。

しかし、上記の荷物を入れてからパソコンを入れると結構キツキツでした。あまりヤワなパソコンだと壊れるかもしれません。その意味でも、現在の望遠レンズ+予備のボディー程度にパソコンを入れるのがちょうど良いと感じました。

旅行バッグとしても使えます

もう一つ、旅行や出張時の使い方として、テンバのガラガラに着替えなどを詰め込み、ドンケのF-3Xあたりに機材を入れてバッグごと上部に入れるという使い方もあります。こうすれば着替えがクッションになって、カメラにはあまり衝撃が伝わりません(たぶん)。現地ではガラガラは宿に置いて、F-3Xを持って行けばいいわけです。

ただ、この使い方でも結構厚みが出るため、ボーイング747-400だと窓側の荷物入れにしか入りません。通路側は高さが足りずに入りませんでした。飛行機で取材される場合は、大きさに注意した方がいいです。

2007-10-14

iPod touchの無線LAN機能

iPod touchの無線LAN機能ですが、暗号化はWEP、WPA、WPA2の3種類に対応しています。

ところが、暗号強度が最も高いWPA2だと認識してくれません。パソコンならWPA2でも認識するのですが、うちのアクセスポイント(AP)が古いからかもしれません。それに、iPod touchで60文字以上の暗号キーを入力するのはかなりしんどい。コピペができません。結局WEPだと正常に動作したので、AP側の設定をWEPにしました。ちょっと暗号の強度に難がありますが...

もう一つ、APをANY接続モード(APを検索できるモード)にしないと、iPod touchがAPを見つけられません。パソコンだとAPがステルスモード(検索してもAPが表示されない)でも通信できますが、ダメみたいです。セキュリティー上、 ANYモードにしたくないですが、不便なので切り替えました。

ただ、ANYモードでもAPに接続できるMACアドレスを制限すれば、許可した機器しかつながらないので、多少はマシです。このように、無線LANの設定をするときには、AP側の設定で多少気をつける点があります。

ネットワークのセキュリティーにちょっと不安が増しましたが、寝ながらYouTubeが見られてなかなか便利です。Safariでのウェブブラウズも、画面が小さいのでちょっと使いにくいですが、慣れればそれなりに使えそうです。ただ、文字入力はかなり大変なので、これでメールをするとかは厳しいと思います。

11/9 解決策がみつかりました。こちらです。

2007-10-12

iPod touch(16GB)を買ってみた

きょう取材の途中で銀座のアップルストアに寄ったところ、iPod touchの8GBと16GBの両モデルの在庫がありました。前から16GBモデルが欲しかったので、即購入。とりあえず写真のコピーなどをやってみました。
どうやらアップルストア銀座の場合、金曜日にドカッと入ってくるんじゃないかなと思いました。というのも、昨日(木曜日)はまったく在庫がなかったですし、先週も入荷したのは金曜日でした。

僕が買ってから1時間後くらいに会社の人が2つ(2人分)16GBモデルを買ってきたので、今日の時点ではどちらのモデルも買えるようです。

明日入荷するのかわかりませんが、銀座で買えたというご報告です。

2007-10-05

EF400mm F2.8L IS USM

7月に講演やサッカーの撮影があり、前々から買おうと思っていた400mm / F2.8(ヨンニッパ)を買いました。ニコンのシステムではAF-S 300mm / F2.8の初代を持っているのですが、2005年10月にキヤノンのシステムを揃えたとき(EOS-1D Mark II Nを2台にレンズ一式で170万円位)はサンニッパやヨンニッパを購入する予算がなく、EF100-400mm F4.5-5.6Lを使っていました。

やはり400mmでF5.6は暗いのと、1.4倍のテレコンを付けるとF8になってしまい、室内ではほとんど使えません。こうした理由で明るいレンズが欲しいので買ったというわけです。新宿のヨドバシで買いましたが、だいたい100万円でした。領収書が電池とかと一緒なのがちょっと悲しかったです。

実際に使ってみると、5kgを超える重さの割には、手持ちでも撮れます。先日、福田と麻生が総裁選前に有楽町の外国特派員協会で講演したときに、うっかり一脚を忘れてしまったのですが、なんとか手持ちで1時間半位撮りましたが、手ぶれ補正の効果もあり、ほとんどのカットは使用できる状態でした。EF100-400mmにも言えるのですが、キヤノンの手ぶれ補正機能は、EF100-400mmやヨンニッパに積んでいる2世代目位のもののほうが、補正効果は小さいものの、確実に機能する気がします(EF70-200mm F 2.8比)。

今回買ったヨンニッパは登場からもうじき10年なので、近いうちにモデルチェンジがあるのではないかと思います。
あと、最近はニコンのシステムへ戻すことも検討しているので、使用頻度によってはそれほど酷使する前に別のものに買い換えてしまうかもしれません。

写真は9月23日、自民党本部で行われた総裁選後の会見

■メーカーWebサイト
EF400mm F2.8L IS USM

2007-10-04

マンフロット694の問題点

今年の1月にマンフロットのカーボン一脚「694 MagFiber」を買いました。前からマミヤのカーボン一脚を使っていたのですが、脚を伸縮するときにレバーで緩めたり止めたりできるマンフロットの一脚が便利そうで欲しいなぁと思っていたからです。

実際、自民党大会などのようにカメラの場所が会場後ろ側固定の場合、各社が詰めに詰めてようやく全員撮れるような状況なので、マンフロの「パッチンパッチン式」は脚の長さを変えるときに便利です。反面、このレバーがしばらくすると緩んでくることをデメリットに挙げるカメラマンもいますが、僕はレンチで締め直せばいいと思って、あまり気にしてません。

それよりも、カメラやレンズを取り付ける台座の滑り止めがゴム製で、ボンドで張ってあるだけなのが問題です。400mm / F2.8(いわゆるヨンニッパ)なんかと使うと、外すときに滑り止めがはがれてしまいます。これはヨクナイ。また、一脚に巻いてあるラバーも使っていると下の方にずれてしまいます。Made in Italyってこんな感じなんですかねぇ。この点ではMade in おフランスのジッツォのほうがよくできてます。

それに、マンフロの一脚が全部ゴム製の滑り止めかというとそうでもありません。680という普通の一脚などは台座がすべりにくい素材でできています。これでいいと思うのですが…

10カ月ほど使った感想として、滑り止めの部分だけはどうにか改良して欲しいけど、ほかは満足という感じです。マンフロの一脚を使いたいのであれば、先の680などのほうがオススメです。

■メーカーWebサイト
Manfrotto 694 MagFiber Monopod 4 Section
Manfrotto 680B Monopod 4 Section Black

2007-05-29

気がつけば5月

4月1日から新しい会社に移り、移ってすぐにサイトと出稿システムがリニューアル。
そんなこんなで写真記者のハズがペン記者どころか、不具合とりまとめの技術屋となった4月でした。

連休前にはほぼ落ち着いたものの、取材体制の構築や不具合対策の継続的なフォローも必要で、最近になってやっと取材中心で動けるようになってきました。

とはいっても、いかんせん人が少ないので、以前なら大きな事件だと、僕が写真で同僚がペンと分担できたのが、すべて一人でこなさなければならないのは正直しんどい。
やはり写真にもっと集中して取り組みたいなぁと思う今日この頃です。

今日は慶応大学病院へ取材に行きました。無論一人です。
SPがセルシオにハコ乗りして警備する様子とか、記事では省きましたが、ここではそういった小ネタを出していければと思ってます。



まぁ、まちネタというか池袋ネタも、仕事に支障のない範囲で書いていきたいです。

2007-03-01

新東京タワーの取材

私が新東京タワーの取材を始めたのは、2005年1月のことでした。
当時は我々ニュースセンターが04年12月に発足してから1カ月。2月からの本格稼働を目前に、試験的に記事を出している時期でした。

最初の記事は池袋の誘致集会のレポートです。
豊島区のホームページか何かで、1月下旬に池袋で誘致集会があることを知り、大学で池袋東口の研究をしていた私は、新たな池袋研究のネタにもなると思い、集会に足を運んでみました。

新東京タワーの存在を最初に知ったのは、1990年代後半のことです。
当時は、秋葉原に建てるやら、浅草が立候補しているやら、東京タワーの隣に建てるやら、浮かんでは消える候補地の名を新聞で眺めていました。現在の高さ600メートルの地上波デジタル(地デジ)放送用新タワーのプロジェクトがスタートしたのは2003年で、その当時はあまり関心がなかったというのが正直な感想です。

このたび、ライブドア・ニュースの独自報道部門の廃止に伴い、私が取材・執筆した計49本の記事を自分のブログに掲載しました(“新東京タワー”のタグでまとめてます)。
これは仮にオリジナルデータが消失した場合でも、後々新東京タワーについて研究する方などのお役に立てればとの思いで、自分で管理しているサイトに再掲した次第です。

私自身、これからも機会があれば別の媒体で新東京タワーのことを書き続けられればと考えています。

新タワーは地域のDNAになるか

特集・地域活性化は誰のために 最終回

[私が過去にニュース媒体で出稿した記事の再掲です]

 下町情緒あふれる街並みが残る東京・墨田区。2011年完成予定の新東京タワーの建設地に決定したことで、同区は従来の製造業中心から観光都市への脱皮を図る。地元では新タワーの誘致成功を歓迎する声が聞かれる一方、「潤うのはタワーの建つ再開発地域の中だけ」との声も聞かれ、建設地周辺まで波及効果が及ぶのか、疑問視する見方も根強い。

同区は新タワー誘致前の03年から、早稲田大学と産業に加え、教育やまちづくりなど包括的な産学官連携に取り組む。産業以外の分野を含めた連携は、全国初の試みだ。この一環として、地域経営ゼミ(友成真一・同大理工学術院教授)では、同区を舞台に必ずしも一年間で成果を求めず、長期的な視野で地域活性化に取り組んでいる。4年目を終えた同ゼミの狙(ねら)いを、友成教授に尋ねた。

学生は教授のコマではない

「墨田区を活性化するのが最大の目的ならば、これほど非効率なことはないですよね(笑)」。学生に自主的な活動を求める同ゼミで、一年間で成果を求めない点を尋ねると、同教授はこう答えた。教授が施策を示し、学生が実行する──。これが従来大学が行う地域活性化の手法だった。しかし、短期で結果を出せたとしても、本質的な問題解決に至らないことが多い。「短期で“結果”を求めるなら学生をコマとして使うだけになる」。

同教授は、地域活性化を経営の視点でとらえる。「経営の本質は原因を作り続けること。原因に目を向けなければ、世の中が求める“結果”は生まれない」と、変化が生じる本質的な“原因”を同区で作っていきたいという。商店街の“復活”を、ビジネスとして成功させるならば、学生はコンサルタント会社に勝てないであろう。大学が地域と関(かか)わる意味を「物事の本質を追究するのが大学だから」と同教授は考える。

自分自身に活力や考え方の変化が生じないと地域を活性化できない、と同教授は見る。ゆえに「非効率」でありながらも、学生と活性化のタネ(原因)をまき続ける。

「年々本質に向かっている」

自主的なゼミの活動を先導するのが「コーディネーター」と呼ばれるかつて受講した学生たちだ。

コーディネーターたちは、ゼミ生たちを牽引(けんいん)しつつ、「キラキラ探偵団」(前回参照)など、自らのプロジェクトも手がけた。同教授は、年々プロジェクトが、人の心に変化を生じさせる「地域活性化の本質的なこと」に向かっているという。前年の経験を生かして活動するコーディネーターの存在が、その一因であるのは間違いない。

新タワーを地域のDNAに

新東京タワーの建つ墨田区では、周辺地域の整備計画が着々と進行している。しかし、観光の目玉となる大型施設の誘致に成功しつつも、徐々に客足が伸び悩んだ地域も多い。2001年に負債総額3261億円と第3セクターでは過去最大規模となり、会社更生法の申請に追い込まれた宮崎県の大型リゾート施設「宮崎シーガイア」など、地域活性化の夢が破れた例は枚挙にいとわない。

同区が同じ轍(てつ)を踏まない策を尋ねると、同教授は「タワーが建つ前から活用すること」を提案。「建設前から開業後まで、(タワーを建てる)東武鉄道や放送局以外に地域の人が関わり続けないと、新タワーという地域の “資源”を最大限に活用したことにならない」と指摘する。新タワーが地域のDNA(遺伝子)になりうるかが成功のカギだ。

地域活性化は、自治体でも事業を行う企業でもなく、街に住む人のために行うものである。大型施設に依存する従来の方法から、人を中心とした方法に転換することで、長期的に成果が見込める、住人のためになる地域活性化が行えるだろう。新東京タワーは、その好例になれるだろうか。

◆ともなり・しんいち: 1954年大分生まれ。京都大学・大学院工学研究科修了後、80年通商産業省(現・経済産業省)入省。資源エネルギー政策、技術政策、中小企業政策、通商政策を手がける。86年在イラク日本大使館、93年JETROニューヨークセンター技術調査員、96年通産省ロシア東欧室長、2001年国土交通省企画官を経て、02年より現職。「真実は現場に生息する」、「一点突破」、「家族第一」が信条。

【了】

写真:「短期で“結果”を求めるなら学生をコマとして使うだけになる」と語る友成教授(撮影:吉川忠行)

■特集・地域活性化は誰のために(地域経営ゼミ後期特集─全4回)
第3回 商店街が子どもを育てる!(07年01月27日)
第2回 高校生とまち歩きで地元再発見(07年01月26日)
第1回 新タワーで街は幸せになる?(07年01月24日)

■連載・新タワー候補地を"経営"する(地域経営ゼミ前期特集─全4回)
第4回 新東京タワーを建てる意義は?(06年07月28日)
第3回 学生それぞれの「すみだ」(06年07月27日)
第2回 デザインは相手への思いやり(06年07月26日)
第1回 なぜ新東京タワーを誘致した?(06年07月25日)



初出:2007年01月28日11時50分 吉川忠行/ライブドア・ニュース

2007-02-28

商店街が子どもを育てる!

特集・地域活性化は誰のために 第3回

[私が過去にニュース媒体で出稿した記事の再掲です]

 東京・墨田区内で地域活性化に取り組む、早大の地域経営ゼミ(友成真一・同大理工学術院教授)では、今年度受講している学生以外に、昨年の受講生たちも自主的な活動を続けている。

彼らの舞台は下町情緒あふれる「向島橘銀座(通称:キラキラ橘)商店街」。同商店街の中には、ゼミ開設当初より協力している店舗もあり、学生たちとは顔見知りの仲だ。

「ボス、またやろうぜ!」

 同商店街で行われたプロジェクトの一つが、区内の小学生を対象とした「キラキラ探偵団プロジェクト」。ゼミ生扮する“依頼人”が子どもたちに「親せきのおじさん探し」を頼み、ゲームのような形で問題を解決していくことで、舞台となる商店街の人と交流していく仕組みだ。

ゼミ生と顔を合わせた直後の子どもたちは「ゼミ生に付き合ってやる」と言わんばかりの“生意気な”態度だったが、“冒険”が進むにつれて打ち解けていった。プロジェクトを終えるころには「ボス、またやろうぜ!」と、自分たちから働きかけるなど、子どもたちの気持ちに変化が生まれたようだった。

探偵団のボスを務めた商学部3年の松林さやかさんは「最初は言うことを聞いてくれずに困惑した。でも最後は『次は宝探しがいい』と期待以上の答えが返ってきたのがうれしかった」と、ボス冥利(みょうり)に尽きる経験ができたようだ。「一番楽しんでいたのは、私たち大学生だったのかも知れません」。

商店街の意義は人を育てること

楽しんでいたのは探偵団の当人たちばかりではない。商店街の人たちも、我が子のように子どもたちを温かく見守っていた。そこには昔懐かしい「地域のおじさん、おばさん」の笑顔があった気がする。

同プロジェクトに協力した肌着店を経営する大和(おおわ)和道さんは、地域活性化について「建物ではなく、人でやるもの」が持論だ。大和さんは地域の人が楽しんでくれるお店作りをしていきたいという。

地域の商店街は現在、大型スーパーや量販店の進出で、価格や品揃(ぞろ)えだけを見れば劣勢だ。同ゼミの友成教授は、これからの商店街の存在意義は、人を育てることだと指摘する。「俺たちが地域の子どもたちを育てるんだ、と思うようになれば商店街が大きく変わるだろう」と意識の変化に期待する。

同プロジェクトのリーダー、第一文学部3年の佐藤陽子さんは“地域”を「キラキラしたものがたくさん転がっている鉱山」と表現した。可能性を秘めた原石とも言える地域を、ゼミ生たちはどう磨き上げていくのだろうか。(つづく

写真1:「キラキラ探偵団」では小学生が商店街を冒険=06年11月25日、東京・墨田区で(撮影:吉川忠行)
写真2:商店街の人たちは我が子のように小学生を見守った(撮影:吉川忠行)

■特集・地域活性化は誰のために(地域経営ゼミ後期特集─全4回)
第4回 新タワーは地域のDNAになるか(07年01月28日)
第2回 高校生とまち歩きで地元再発見(07年01月26日)
第1回 新タワーで街は幸せになる?(07年01月24日)



初出:2007年01月27日11時50分 吉川忠行/ライブドア・ニュース

高校生とまち歩きで地元再発見

特集・地域活性化は誰のために 第2回

[私が過去にニュース媒体で出稿した記事の再掲です]

 1月18日、東京・墨田区の同区中小企業センターで、早大の地域経営ゼミ(友成真一・同大理工学術院教授)がプロジェクトを発表する「大プレゼン大会」が開かれた。会場には地元の中小企業経営者や商店街関係者、高校生などが出席した。

「ドスコイすみだ」、「コンタクツ」、「かすみだ関」、「すみだ大サーカス」──。1班9人程度で構成する4班が活動報告を行う。いずれも、地元商店街や同区内の高校生など、地元の人的な“資源”を巻き込んだプロジェクトだ。

ドスコイすみだは、新東京タワー建設地周辺の居酒屋に、交換日記を置くプロジェクトを披露した。店主と客が新タワーを肴(さかな)に交流を深めていくことで、地元に対する関心を深めてもらおうと試みる。

一方、かすみだ関が発表したプロジェクトは“これからの世代”である高校生がターゲット。区内を巡る「まち歩き」を通して普段通い慣れている学校周辺から何かを感じ取ってもらおうというアイデアだ。高校生たちの地元を丸一日歩くことで、どんな発見があるのだろうかと期待が膨らむ。

自分たちにしかできないプランを

大プレゼン大会の3日後。中小企業センターには、かすみだ関のゼミ生9人に加え、東京都立墨田川高校(以下・墨高)の生徒7人の姿があった。高校生の中には、大プレゼン大会でゼミ生と顔を合わせている生徒もいたためか、会場は自然と和やかな雰囲気に包まれた。

まち歩きの出発前には「誰のためのまち歩きプランか」を各班で話し合い、ルートを決めた。記者が同行した班では、墨高の生徒が学校付近で新たな発見を試みようというプランに決定。「高校生である自分たちにしかできないプラン作り」を合言葉に、ゼミ生と互いのアイデアを出し合った。

高校生からは自分たちが普段遊んでいるボーリング場や、名前は聞いたことがあるけど、自分たちは食べたことのない「伝説のもなか」などが挙がる。墨田区の地図に目的地を足していった結果、放課後何かを食べながら「まったりできる(のんびりと自分を開放できる)」という方向性が見え、まち歩きに出発した。

2年間通っているのに…

曇天の下、まち歩きは「伝説のもなか探し」から始まった。最寄り駅からしばらく歩くと、探していた和菓子店が目の前に現れ、近くに住む高校生からは「えー!毎日自転車で通っているのに知らなかった」と、地元での名物発見の喜びと驚きが入り交じった表情を見せていた。

もなかを手に入れた一行は、高校生行きつけのボーリング場の前を通り、墨高周辺の商店街へ向かう。「部活は何やってるの?」「大学って楽しいですか?」ゼミ生たちとはお互いの学校生活などの話題で盛り上がる。

「コロッケ1個25円?安いっ!」「焼き鳥は1本50円だぁ」。墨高から線路を挟んだ商店街で見つけた総菜店で、高校生からは安さに素直に驚きの声が上がった。この商店街は通学路に当たらないため、ほとんど来たことがないという。

3時間半のまち歩きを終えた高校生は「2年間通っている場所なのに全然知らないところが多かった」と、地元での新発見の連続に満足げだった。

地元の知らない場所は「異国」

まち歩きを終えた各班は、それぞれ墨田区の大きな白地図に、歩いたルートやお店、発見した「名所」などを色とりどりのマジックで書き込んでいき、自分たちだけの「すみだ」が完成していく。

地元で新たな発見をした高校生たちを駅まで送ったゼミ生たちは、全員で反省会を開いた。今回の試みで良かった点として「自分たちの地元なのに感動してくれたこと」などが挙がる。反面、日曜日で閉まっている店が多かったことなどの準備段階に課題を残した。

プロジェクト当日を終え、政治経済学部4年の佐々木知範さんは「高校生にとって“大学生と何かができる”というシンプルなことが、大きなモチベーションになっていた点が新鮮だった」と振り返る。

高校生の感想には「地元だけど知らない場所へ行った時、異国に来た気分になった」など、普段とは違う視点で地元を見られたとの声が多かった。彼らが新たな発見を達成した一方、佐々木さんは「このプロジェクトは、まだまだゴールじゃない!ってことは確か」と語る。ゼミ生はこれからも活性化の“タネ”をまき続ける。(つづく

写真:1個25円のコロッケ。高校生も安さに驚く=21日、東京・墨田区で(撮影:吉川忠行)

■特集・地域活性化は誰のために(地域経営ゼミ後期特集─全4回)
第4回 新タワーは地域のDNAになるか(07年01月28日)
第3回 商店街が子どもを育てる!(07年01月27日)
第1回 新タワーで街は幸せになる?(07年01月24日)



初出:2007年01月26日17時05分 吉川忠行/ライブドア・ニュース

2007-02-27

新タワーで街は幸せになる?

特集・地域活性化は誰のために 第1回

[私が過去にニュース媒体で出稿した記事の再掲です]

 新東京タワー建設地に決まった墨田区。2006年11月にはデザインも決まり、現・東京タワーが開業50周年を迎える08年には着工、地上デジタル放送に切り替わる11年の開業を目指す。同区は東京の東部に位置し、情緒あふれる下町の風景が残っている地域だ。生活必需品中心のものづくりが長らくこの街の基幹産業となってきた。

大学がない同区では、新タワー誘致前の03年から早稲田大学と産業、教育、文化、まちづくりなど包括的な分野で産学官連携に取り組んでいる。その一環で、必ずしも一年間で成果を求めずに、長期的な視野で地域の活性化に取り組む、一風変わったゼミが区内で進行している。友成真一・同大理工学術院教授の「地域経営ゼミ」だ。

新タワー誘致に成功したけれど

六本木、お台場、汐留、表参道──。ここ数年都内で行われた大規模開発の大半は、港区周辺の街で行われた。第二次大戦前、東京の繁華街といえば、浅草や両国といった東京23区の東側に位置する街がほとんどだったが、戦後は新宿、渋谷をはじめとする西側に中心が移ってしまった。近年の再開発でその勢いは加速する一方だ。

新タワーの事業主体である東武鉄道の東京の玄関口は古くからの繁華街・浅草。街の活気が都内で「西高東低」であることを憂慮した東武は、05年に同区とともに新タワー誘致に参戦。わずか1カ月の誘致運動で新タワー建設「優先候補地」の座を勝ち取り、その1年後の06年3月には「建設地」に決定した。

新タワー誘致に成功したことで、同区は従来の製造業中心から観光都市への脱皮を図る。高度成長期に同区の財政を支えた製造業だが、近年は工場が地方や海外へ転出。跡地がマンションに変わった状況では、企業誘致は難しい。一方で、“下町情緒”というキラーコンテンツを持つ同区にとって、新タワーが強力な集客ツールになることは間違いない。

地元では新タワー誘致を歓迎する声が聞かれる一方、街の活性化に疑問を投げかける声もある。新タワー併設の商業施設に進出が予想されるのは、東武系列をはじめとする大手のショッピングセンターやレストラン。結果として潤うのは再開発地域の中だけで、地元商店街や他の観光地への波及効果は乏しいとの見方も根強い。

「今は静かな住宅地だけど、タワーが出来たらどうなるんだろう」──。新タワー建設地近くで居酒屋を営む男性は、期待と不安が入り交じる思いを語った。新タワーの完成で周辺地域は住宅地から観光地に一変する。住環境の変化や商店の客層の変化を不安に思う人がいるのも事実だ。新タワーを起爆剤に「観光都市すみだ」へ転換を図りたい同区や、日光や鬼怒川温泉と並ぶ新たな沿線観光地に育てたい東武と、地元の間には意識にズレがあるように見える。

地域が持つ資源を最大限に生かす

早大の地域経営ゼミでは、地域が元来持っている良さ、人材などの資源をフル活用して「価値の最大化」に取り組む。これは地域を「経営する」という視点で活性化を捉えているからだ。今年度で4年目を迎えた同ゼミは、例年2倍から4倍の競争率となる人気講座の一つ。

さまざまな学部から集まった25人の学生たちは、新タワー建設地周辺の居酒屋や、下町情緒あふれる商店街などを舞台に、地元の人を巻き込んだ活動を行ってきた。学生の多くは、ゼミ終了後も何らかの形で「すみだ」に関わり続けている。

もともと、地域活性化は短期間では大きな成果は見込めず、最低でも5年から10年の歳月を費やして初めて形になるものと言われる。果たして、学生たちはどのような「活性化のタネ」をまいたのだろうか。(全4回・つづく

画像:新東京タワーと周辺地域のイメージイラスト(提供:東武鉄道)

■特集・地域活性化は誰のために(地域経営ゼミ後期特集─全4回)
第4回 新タワーは地域のDNAになるか(07年01月28日)
第3回 商店街が子どもを育てる!(07年01月27日)
第2回 高校生とまち歩きで地元再発見(07年01月26日)



初出:2007年01月24日17時27分 吉川忠行/ライブドア・ニュース

新東京タワー以外でも活性化を

早大生が墨田区で地域活性化案を披露

[私が過去にニュース媒体で出稿した記事の再掲です]

 2011年に高さ610メートルの新東京タワーが完成する墨田区で18日夜、同区内で地域活性化に取り組んでいる早稲田大学の学生が、地元商店主らに活性化プロジェクトを説明する「地域経営ゼミ 大プレゼンテーション大会」を、区内のすみだ中小企業センターで行った。

墨田区では新タワー完成を機に、これまで区を支えてきた生活必需品中心のものづくりに加え、観光を新たな屋台骨に育てようと模索している。また、早稲田大学と02年12月に締結した事業連携協定に基づき、地元の商店街や中小企業を交えた地域活性化の産学官連携に取り組んでおり、その一環として「地域を経営する」をテーマにした友成真一教授(同大理工学術院)のゼミを、新タワー建設地に決まる以前の03年4月から同区内で実施している。

4年目となる今年度は、学生が4グループに分かれ、区内の商店街や新タワー建設地周辺の飲食店を巻き込んだ活性化案を披露。新タワーだけに頼らない地域のあり方を提案した。また、昨年ゼミを受講し、現在も活動を続けている学生も2グループが活動報告を行った。

2グループのうち「キラキラ探偵団プロジェクト」(関連記事)は、区内の小学生に焦点をあてた。ゼミ生扮する“依頼人”が子どもたちに「親せきのおじさん探し」を頼み、ゲームのように問題を解決していくことで、舞台となる商店街の人と交流するプロジェクトを行った結果を報告。商店主の間で地元の子どもを育てる意識が強くなることで、商品を売るだけに終わらない商店街へ変化する可能性を示した。

地元商店街で肌着店を経営する大和(おおわ)和道さんは、4年間ゼミの活動に協力してきた。「学生たちは毎年入れ替わるが、毎年店に来てくれる学生もいる。彼らも我々も活動に慣れてきた。いくら商店街と言っても、いきなりうまく行かないからね」と、4年の歳月で地域にゼミがとけ込んできていることを実感していた。

同ゼミでは、必ずしも説明会までに“結果”を求めていない。友成教授は「短期で“結果”を求めるなら学生をコマとして使うだけになる。学生自身が活性化しなければ地域を活性化できない」と、従来の手法とは違った切り口で、学生が地域活性化に取り組む意義を語った。学生たちの多くは、授業期間が終わった後も自主的に区内で活動を行っていくという。【了】

写真:18日、東京・墨田区内で地域活性化案を発表する早稲田大学地域経営ゼミの学生(撮影:吉川忠行)

■関連記事
新タワーと江戸情緒の両立を
(墨田区長と早大生がガチンコ討論、06年05月12日)

■特集・地域活性化は誰のために(地域経営ゼミ後期特集─全4回)
第4回 新タワーは地域のDNAになるか(07年01月28日)
第3回 商店街が子どもを育てる!(07年01月27日)
第2回 高校生とまち歩きで地元再発見(07年01月26日)
第1回 新タワーで街は幸せになる?(07年01月24日)

■連載・新タワー候補地を"経営"する(地域経営ゼミ前期特集─全4回)
第4回 新東京タワーを建てる意義は?(06年07月28日)
第3回 学生それぞれの「すみだ」(06年07月27日)
第2回 デザインは相手への思いやり(06年07月26日)
第1回 なぜ新東京タワーを誘致した?(06年07月25日)



初出:2007年01月19日15時40分 吉川忠行/ライブドア・ニュース

2007-02-26

新東京タワーは誰のために建つ

特集・新東京タワー 夢と現実の狭間で 最終回

[私が過去にニュース媒体で出稿した記事の再掲です]

 地上波放送がデジタル方式(地デジ)に完全移行する、2011年に完成予定の新東京タワー。新タワーの建設地に決まった墨田区が誘致を行ったのは、高度成長期に同区の財政を支えた製造業の地方や海外への流出に危機感を抱いたからだ。製造業に加え、観光を中心産業として育成していく方針を打ち出した同区は、 05年2月に東武鉄道とともに新タワー誘致に名乗りを挙げる。候補地はさいたま新都心など15にのぼったが、06年3月には建設地の座を勝ち取った。

建設地に決定した理由の一つとして、事業主体と建設用地が明確であったことが挙げられる。同区は04年11月に、山崎昇区長が区議会本会議で誘致の意思表明を行い、同年12月には同区と地元関係者が東武へ協力要請を行った。06年3月の決定後、東武は資本金4億円を全額出資する事業会社「新東京タワー」を東武本社内に設立。同社は現在、放送事業者との協議の窓口となり、新タワー事業の計画策定を行っている。

なぜ東武が名乗りを上げたか

 ここ数年東京で行われた再開発は、六本木や汐留、表参道など西部の街がほとんど。一方、浅草をはじめとする東部の街を見ると、大規模な再開発とは縁遠い状況だ。新宿や渋谷も合わせると、街の勢いは「西高東低」と言える。

東京東部と関東北部が営業基盤の東武では、この状況に危機感を持っていた。東武に限らず、鉄道の通学定期客は少子化により減少しているため、各社は沿線の観光地などを活用して、いかに定期以外の乗客を増やすかに腐心している。

「東京の都市軸が次第に西南方向へ移っていることに大きな懸念を抱いていたが、(東方向に)引き戻すことなど、とても東武一社の手に負えない」。11月に開かれた地元関係者向けシンポジウムの席上、新東京タワーの宮杉欣也社長は、新タワー建設を契機に、地元と一丸となって「西高東低」を是正したい意向を示した。

同社は新タワーの年間来場者数を、初年度540万人、開業後30年平均を270万人と見込む。仮に540万人のうち200万人の大人が、定期外で浅草駅と最寄りの業平橋駅の間を往復で乗車した場合、運賃の合計額は5億6000万円。500億円と見込まれるタワーの建設費は、展望台の収入や放送事業者からの施設利用料で回収できるとしており、東武にとって定期外客の増加は、増収につながる可能性が高い。また、オフィスビルを併設する計画なので、定期券利用者の増加も見込める。

起爆剤で"爆発"するか

 墨田区は9月、新タワー建設地と周辺地域の計35万平方メートルの将来都市像を描いた「まちづくりグランドデザイン」をまとめた。新タワーを起爆剤に同区を観光都市に変ぼうさせるための将来図だ。

現在、建設地周辺は防災面で不安な地域が多い。道路の道幅が狭く、老朽化した木造家屋が密集する地域もある。同区では下町情緒を残しながら、道路整備や建物の不燃化促進などを行う方針だ。また、建設地沿いを流れる北十間川の整備など、地域の特性を生かしたまちづくりを行っていく。

このほか、同区ゆかりの浮世絵画家・葛飾北斎の作品や資料を展示する「北斎館」を区内に建設する計画があり、グランドデザインの対象地域以外でも観光面でてこ入れが行われる。

誰のために建てるのか

山崎昇・墨田区長は、同区のみならず東京東部全体の活性化を掲げて新タワー誘致を行った。7月からは隣接する区の観光担当が定期的に集まり、連携を模索している。

また、山崎区長は5月に行われた早稲田大学の学生との討論会で、良い街の条件として実際に居住している人数を示す「夜間人口」が多いことを挙げた。新タワーで「住みたい街」としての地位も向上させたいようだ。

企業や行政はそれぞれの思惑で新タワーの誘致を行った。いまのところ、両者が地元へ行う説明を聞く限り、単なる観光地づくりで終わらず、恒久的なまちづくりを目指すようだ。しかし、これを実現するには、多くの住民が企業や行政に対し、賛成・反対を含む明確な意思表示を行っていくことが重要だろう。街の主役は企業でも行政でもない。その街に住む人なのだから。【了】

写真上:11月24日に東武鉄道が発表した新東京タワーのイメージイラスト(提供:東武鉄道)
写真中:墨田区が建設地に決定した理由の一つは、東武が事業主体と建設用地の引き受けを表明したこと。写真は業平橋駅から見た東武所有の新タワー建設地=06年3月15日(撮影:吉川忠行)
写真下:業平橋駅周辺は団地の建つごく普通の住宅地だ=06年6月28日(撮影:吉川忠行)

■特集・新東京タワー 夢と現実の狭間で
第2回 新タワーより高い上海ヒルズ展望台
第1回 台北101と新タワーを比較する



初出:2006年12月02日11時30分 吉川忠行/ライブドア・ニュース

新タワーより高い上海ヒルズ展望台

特集・新東京タワー 夢と現実の狭間で 第2回

[私が過去にニュース媒体で出稿した記事の再掲です]

 2008年8月の北京オリンピック開催を控えた同年春、高層ビルの建設ラッシュに沸く中国・上海市で、森ビルが手がける超高層複合ビルプロジェクト「上海ヒルズ」が竣工する予定だ。新タワーより高い展望台を擁する上海ヒルズの工事は現在、高さ70階(約300メートル)部分まで達している。

同社は、1986年のアークヒルズに始まり、愛宕ヒルズ(01年)、六本木ヒルズ(03年)、表参道ヒルズ(06年)と、大規模開発プロジェクトに必ず「ヒルズ」を冠してきたが、初めて海外でこの名称を使う。上海ヒルズがオープンする08年に着工し、11年完成予定の新東京タワーと同複合ビルの展望施設を比較した。

展望施設は新東京タワーより高い

 上海ヒルズの中心となるメインタワー「上海ヒルズ環球金融中心」は、地上101階、地下3階建てで、高さは492メートル。ビルの頂部には台形の開口部が目を引く。472メートルの100階には長さ55メートルの展望廊下を設け、94階には広さ700平方メートル、天井高8メートルの大展望スペースも用意し、年間250万-300万人の来場者を見込む。森ビルでは広さを生かした大型展示も検討しているという。

2008年に上海ヒルズがオープンすると、新東京タワーの完成前に、第2展望台(高さ450メートル)を22メートル上回る「世界一高い展望台」が出現する。新タワーは建物全体の高さでは世界一となるが、観光客が実際に見られる眺望は、わずかな差とはいえ「世界一の高さ」ではない。

新タワーの事業主体である東武鉄道では、展望台よりも建物としての「高さ世界一」を国内外にアピールしていくという。新タワーの基本設計が07年春までに行われることを考えると、同社が第2展望台の高さを変更する可能性は少ない。

高さを競うだけのタワーではない

 「高さはもちろん、美しさや親しみでも世界一になりたい」──。24日のデザイン発表の際に配布された東武の資料には、単に高さだけを競うタワーではないと、開発の方向性が示されている。

タワーの形状は日本刀や伝統的な日本建築に見られる「そり」と「むくり」を意識した。断面図で見ると、足部から頂部に向かって、三角形が円形に連続変化していく構造だ。また、災害時も電波塔としての役目を担うため、奈良・法隆寺の五重塔に見られる制震構造を最新技術で再現するなど、耐震性と耐風性も考慮している。

東武では高さ350メートルの第1展望台に、レストランや店舗などを設ける予定。また、新タワーの目玉となる高さ450メートルの第2展望台外周には、ガラスで覆われた、らせん状の空中回廊を設ける計画だ。

新タワーの年間来場者数は、国内では圧倒的な高さとなる展望台を武器に、初年度540万人、開業後30年平均で270万人を見込む。

単なる観光地を作るつもりはない

東武が全額出資する事業会社「新東京タワー」(東京都墨田区)の宮杉欣也社長は、11月に開かれた地元関係者向けのシンポジウムで「単なる観光地を作るつもりはない」と述べ、周辺地域の発展に寄与するタワーを目指す方針を示した。

同社では新タワーを防災拠点としても位置づけており、周辺にも「下町らしい個性あふれる賑わいを演出した複合施設」を計画している。開業当初のにぎわいが一段落しても、魅力の衰えない施設をどう実現していくかが課題だ。

タワーの高さは世界一、展望台の高さは…。このもどかしさをどう発展的に解決する新タワーが完成するのだろうか。(つづく

画像上:11月に森ビルが発表した「上海ヒルズ」のイメージイラスト(提供:森ビル)
画像中:上海ヒルズの中心となるメインタワー「上海ヒルズ環球金融中心」の頂部に設けられた台形の開口部(提供:森ビル)
画像下:11月24日に東武鉄道が発表した新東京タワーのイメージイラスト(提供:東武鉄道)

■特集・新東京タワー 夢と現実の狭間で
最終回 新東京タワーは誰のために建つ
第1回 台北101と新タワーを比較する



初出:2006年12月01日16時00分 吉川忠行/ライブドア・ニュース

2007-02-25

台北101と新タワーを比較する

特集・新東京タワー 夢と現実の狭間で 第1回

[私が過去にニュース媒体で出稿した記事の再掲です]

 2011年に開業予定の新東京タワーのデザインが24日発表された。当初の計画と同様、タワーの高さは地上610メートルで、350メートルと450メートルの部分に第1、第2展望台を設置する。第2展望台の外周には、ガラスで覆われた空中回廊を設ける予定で、今後環境アセスメントなどで修正が加えられない限り、新タワーは今回発表されたデザインでお目見えする。

現在、建築物として高さ世界一を誇るのは、553メートルの「CNタワー」(カナダ)だ。アジアでは、508メートルの「台北101」(台湾)が最も高い。建築物のうち超高層ビルに限ると世界一高いビルだ。同じアジアに位置する台北101に、新タワー完成後のまちづくりの手がかりはないか。10月中旬、遅い夏休みを取り台湾へ向かった。

台北の六本木ヒルズ

台北101は2004年に再開発地区「信義計画区」にオープンした。最寄り駅は台北駅から地下鉄で10分ほどの市政府駅。ここから歩いて7分ほどだ。周辺には市政府庁舎や市議会議事堂があり、台北101に隣接する高級ホテル「グランドハイアット 台北」との間には片側4車線の広大な道路が貫く。

展望台は地上382メートルの89階と、同390メートルとなる91階の2カ所。入場料は89階の屋内展望台が350元(1元=4円換算で1400円)、 91階の屋外がプラス100元(同400円)だ。地下1階から地上5階までの低層部は高級ブランド店や食料品店などが入ったショッピングモールとレストラン街、中層部は金融やIT関連企業などが入るオフィスフロアとなっている。

台湾で同地区一帯は「台北のマンハッタン」と呼ばれているようだが、オフィスに入居する業種や高級ホテル、隣接する高級住宅地やコンベンションセンターを見ると、六本木ヒルズや横浜・みなとみらい21地区を思い起こしてしまう。

金色の球は何?

 屋内展望台へは5階のエレベーター乗り場から、世界最速の分速1010メートルを誇る日本製エレベーターでわずか37秒で到着する。日本の高層ビルにある展望台と比べて広々としており、ゆったり景色を楽しめるような雰囲気だ。カフェや土産物店のほか、展望台から国内外へ手紙を送れるコーナーもある。

また、展望台の中心部に入ると金色の球が目に付く。風による振動を抑えるダンパー(チューンド・マス・ダンパー、TMD)だ。直径5.5メートル、重さ660トンと世界最大の大きさで、TMDの周りでは写真を撮る観光客も多かった。

台北の街全体が見渡せる展望台からの眺めはすばらしい。眼下には高級マンション「信義之星」が広がり、西側の窓からは台北駅前のデパート「新光三越」が入る新光タワー(高さ244メートル)が見える。屋外展望台へ出るとかなりの強風が吹いており、ピューピューと風切り音が途切れることがない。

新旧入り交じる街並み

 展望台から見えた富裕層向け住宅地へ向かった。台北101と信義之星の間を通る幹線道路の下では、2011年末開業予定の地下鉄信義線の工事が続いており、最寄り駅の「世貿中心駅」開業後は台北駅方面へのアクセスが向上する。現在住宅地から地下鉄の市政府駅までは20分ほど歩くが、住宅地に近い信義線の開業で、周辺地域の開発が一層加速しそうだ。

信義之星を通り過ぎると突如風景が変わる。低層の古びた建物がひしめく、台北市内でよく見かける下町の風景だ。商店街には「10元ショップ」もあった。台北101からは10分ほどの距離であったが、観光客と思われる人は皆無だった。

新東京タワー建設地の周辺は?

一方、新東京タワーの建設地である「押上・業平橋地区」も、現在はごく普通の住宅地。墨田区が中心となって進める新タワー周辺の「災害に強いまちづくり」では、建物の不燃化促進や生活道路の整備による災害対策に加え、下町情緒を生かした観光客をもてなす街並みづくりを目指す。

また、同区では建設地沿いを流れる北十間川を「水辺拠点」と位置づけ、水質浄化や橋の改修、親水ステージや船着き場の整備などを計画している。新タワーでいかに観光客を呼び込み、周辺の街を活性化できるかが「観光都市」を目指す同区の課題だ。

はたして、どのような風景に変ぼうするのだろうか。(つづく)

写真1:高さ508メートルの「台北101」は、超高層ビルでは世界一の高さ=06年10月18日、台北市で(撮影:吉川忠行)
写真2:展望台中心部にある金色の球は風による振動を抑える「チューンド・マス・ダンパー」=06年10月18日、台北市で(撮影:吉川忠行)
写真3:台北101から10分ほど歩くと下町の風景が広がる=06年10月18日、台北市で(撮影:吉川忠行)

■特集・新東京タワー 夢と現実の狭間で
最終回 新東京タワーは誰のために建つ
第2回 新タワーより高い上海ヒルズ展望台



初出:2006年11月30日12時50分 吉川忠行/ライブドア・ニュース